占守島の戦い①
札幌はすすきの、仕事終りにたわいも無い会話をしながら酒を飲む。食いたいものを好きなだけたべながら。
こうして今日もこの場所で自分達が酒を飲めるのは誰のお陰か。
無論、一生懸命自分が働いたことによる。しかし、それだけか?
1945年8月、太平洋戦争終結後も北の僻地で戦闘を続け、この地、北海道を護り抜いた漢達がいる。
その後、あるものは命を落とし、あるものは遠く離れたシベリアに抑留され辛く苦しい日々を過ごした。
自分が彼らの立場に立った時、同じことが出来るか?
自分の生活の為、家族の生活の為に多少のストレスに耐える事は出来ても、
国土を守る為に先行きの見えない戦闘に命を賭けることが出来るだろうか。
いくら自問しても「何故、自分がそこまで」と矮小な思いが最後には出てしまう。
無論、彼らの中にも怖く、逃げたかった人間もいるだろう。
だがそれは問題ではない。
彼らの闘いがあったから、今我々はこの場で歓談出来る。
「占守島の戦い」についてシリーズで書いていく。
iPhoneからの投稿—–