シリア難民はいま
ただ、ただ涙が出て悲しい。
この子は無邪気に笑い、何を見ても瞳を輝かせていたに違いない。
母や父の後を追いかけ、たどたどしい言葉を喋っていたに違いない。
遥か遠くの地では残酷な日々が続く。
シリア難民は今、、
この写真を見てしまってから、数時間置きにふと複雑な心境に陥る。
この写真がヤラセであるとか、事実と異なるとかそんな話をする人もいる。
歴史を知れば、世界では聞くに堪えない、想像しえない、もっと悲しい出来事の連続であったとも思う。
だけれども、いち父親として込み上げてくる思いは抑え様はない。日々の生活に忙殺される後ろめたさは何故か避けようがない。
これは何故か、、世界を突き動かしたものは何か。
それはこの子が身をもってしめした世界の悲しみの縮図であり、言葉や数字では表すことのできない闇に隠れた悲しみの奇跡的な表現であったのだろう。
俺はただただ悲しく、写真から目をそらしたい。
不幸を見て日々の生活に感謝するような気持ちもすぐには沸いてこない。
このブログでは最も衝撃的な写真はあえて載せないが、どこかで気付いて貰いたい。
この子の現世への純粋無垢な希望を心のどこかに止めて貰いたい。
トルコのリゾート地、ボドルムの近くで子供の遺体を運ぶ準憲兵隊員。2015年9月2日撮影。。
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